5年前の山陽、九州旅行②
2011/1/28 (金)
いつもコメントありがとうございます。
私は日本史が好きです。日本史全般ではなく、
好きな時代のみ興味があり、かなり選り好みして自分なりに楽しんでいます。
第2次世界大戦(太平洋戦争)は興味があり、いろいろな史跡を訪ねています。
撮り貯めた写真がかなりありますので、これからも皆さんに見てもらいたいと思っています。
これからも時間があればこのブログを覗いて下さい。
戦艦大和のロケセットを尾道で見てから一路、広島県呉市へ向かいました。
お目当ては大和ミュージアムです。
瀬戸内海を海岸線に沿って走りました。
きれいな景色を見ることが出来て満足しました。
ミュージアム外側に大和波止場という場所があります。
これは戦艦大和の甲板の一部を再現したものです。
説明パネルの点線左側部分です。
この床も実物大和の床もフローリングで出来ています。
私は戦艦大和が好きで、なぜ木製なのかを自分なりに調べてみました。
甲板が木製の理由は、大和は相当重量があり船体を軽くする必要があったこと、
赤道付近はスコールが多く甲板が滑りやすいこと、
大和にはエアコンがあったそうですが上官室に限定されていたこと、などらしいです。
個人的にこの場所に大和のロケセットがあれば良かったと思いました。
永久保存してもらいたかったです。
ミュージアムの入り口付近に戦艦陸奥の主砲が展示されていました。
こちらはスクリューです。戦艦陸奥は呉から近い瀬戸内海にある柱島停泊地に停泊中、
大爆発を起こし沈んでしまいました。戦後船体は引上げられました。
実物大の戦艦大和いかりです。芝生広場にあります。
館内に入りました。最初に見たのが1戦艦大和0分の一模型です。
本物は全長263メートルありますので、模型といっても長さ26メートルあります。
細部まで細かく再現されていました。
大和の設計図面はほとんどが廃棄されてしまったようです。
スクリュー三枚とも4枚ともいわれていましたが、東シナ海の海底に眠る大和を調べたところ
三枚とのことでした。船尾にある舵は巨大です。
舵は魚雷による損傷を考慮した予備の舵が奥にあるのが見えます。
大和は2度ほど改造されています。
この仕様は最後の沖縄戦に向かったときの仕様になっています。
写真が小さく不鮮明で分かりづらいですが、中央に紺色の服を着た人形があります。
この人形が約17センチで実物の10分の一とのことです。
1番艦の大和はここ呉にあった海軍工廠で建造されました。
2番艦の武蔵は民間企業の三菱重工長崎造船所で建造されたようです。
大和と武蔵は艦橋のデザインが異なります。
ちなみに、三番艦信濃は横須賀海軍工廠で建造途中、空母に改造されました。
4番艦は紀伊という名のみ決定されていたそうですが、建造されませんでした。
ここにある大和模型の船体は造船所で造られたそうです。
船体が完成してからこの場所に搬入され、その後艦橋その他の上側部分を製作したそうです。
近づいて見るとかなり細部まできちんと造りこまれています。
このホールは吹き抜けになっていて、上部からも見ることが出来ます。
写真が不鮮明で見難いですが中央やや左側に茶色の服を着た人形があります。
先ほど同様、正確に縮小したものです。
二階から見た写真です。甲板は本物の木が張ってあります。
三階から見た写真です。ミュージアムは自然光が入るように設計されています。
非常に優れた良いデザインの建物だと思います。
見物客と比較すると大和の大きさが分かると思います。
三階から大和の後方を見た写真です。
この日は平日でしたが来場者はたくさんいました。
男たちの大和で使われた備品が展示されていました。
これは班ごとに配られた食事を入れる容器です。
高角砲に装填される弾倉です。カセット式になっています。
映画の大和無線室にあった無線機です。かなりリアルに出来ています。
大和ミュージアムにはゼロ戦や人間魚雷回天などが展示されていました。
ゼロ戦は62型です。金製エンジンではなく栄エンジンです。
靖国神社遊就舘にあるのは52型です。52型には4種類ありますが、
いかんせん勉強不足で違いが説明出来ません。
またゼロ戦の知識を勉強したいと考えています。
レストアされているので非常にきれいです。
今にも飛び立てそうに見えました。
栄エンジンはきれいに塗装されていました。
このエンジンは機体から外され単体で展示されています。
広島に本社があるマツダに協力してもらい整備し塗装したとの説明がありました。
特殊潜航艇「海龍」です。二人乗りの小型潜水艦です。
この日は広島のビジネスホテルに宿泊しました。
広島在住の同業者さんと夕食を共にしました。
これ以降のブログは後日アップさせて頂きます。