妻の実家へ里帰りしました②
2010/5/10 (月)
次の日に目が覚めると九州でした。
フェリーは乗客の立ち入りを制限している場所があります。
停泊する時に使うワイヤーがあるウインチ区域などです。
船は大隅半島の志布志港へ入港しつつあります。
この日の九州は曇りでした。
志布志港を下船してすぐに撮った写真です。
離れて見てもフェリーは大きく感じます。
九州到着は朝9時頃でした。
直接妻の実家へ行かず、以前から一度訪れてみたいと思っていた
海上自衛隊鹿屋航空基地資料館へ向かいました。
途中にある道の駅「くにの松原おおさき」で少し休憩をしました。
ステンレス製の巨大なカブトムシがモニュメントとなっています。
大きく丁寧に作られています。
これは相当熟練した職人の方が製作したものと思われます。
夜はライトアップされているようです。
しばらくすると鹿屋航空基地へ到着しました。http://www.mod.go.jp/msdf/kanoya/
平日ということもあり来場者は少なめでした。
屋外に展示してある航空機は海上自衛隊を退役した航空機です。
14機ほど展示してあります。
航空機の塗装は少し剥げています。
芝生はきれいに手入れが行き届いていました。
飛行機は近付くと大きいです。
一機づつ説明が付いています。
航空機はあまり詳しくないので説明できませんが、退役した対潜哨戒機です。
この機体は最近塗装をやり直したようできれいでした。
新明和の飛行艇US-1Aもあります。
この飛行機は同型機が現役で活躍しています。
US-1Aは木が邪魔をしているので良いアングルの写真が撮れませんでした。
反対側の中庭に二式大艇が展示してあります。
この機体はアメリカから里帰りしてお台場の船の科学館に展示してありました。
その後に鹿屋海上自衛隊に譲ってもらったそうです。
私は以前お台場で見たことがあります。
相当大きいです。胴体の日の丸は直径3メートルほどあると思われます。
分解してここまで運びこんだようです。
二式飛行艇の説明です。
この飛行艇の説明文は文字が大きくなっています。
ぱっと見は戦後の飛行艇US-1Aより大きく見えます。
外にある航空機を見てから館内に入りました。
2階に資料館の目玉展示であるゼロ戦52型があります。
このゼロ戦は錦江湾と東シナ海にある吹上浜の海底から引き揚げられました。
使用できない部品や無い部品は新たに製作したそうです。
この新資料館オープンに合わせ復元された機体です。
階段がありコックピットは内部まで見ることができます。
非常に丁寧にレストアされています。
ゼロ戦の心臓である栄エンジンは外して展示されています。
きれいに塗装されて磨きこまれています。
もともとここは海軍の特攻基地であった場所です。
特攻といえば知覧が有名ですが、知覧は陸軍です。
鹿屋にあるこの資料館は知名度が低いため訪れる人は少ないです。
展示方法は知覧とほぼ同じです。
出撃された方の顔写真がパネルで展示してあり、その下に遺書や遺品が展示してあります。
非常に達筆で内容もしっかりしています。
2階テラスから撮った写真です。
上から見ると飛行機は小さく見えます。
この場所は海上自衛隊鹿屋基地入り口にある中庭にあります。
航空機が増えても展示するスペースはまだ十分あります。
私は博物館、美術館、資料館に大変興味があります。
出かけるときはゆっくり見たいので、一人で出かけることが多いです。
国を守るために命をかけた人の話は心が痛みます。
時代が違うといえばそれまでですが、
勇気と愛国心がないとできないことだと考えさせられました。
一階は戦後の海上自衛隊の説明がしてあります。
2階でかなり時間を取られてしまったのでざっと見学をしました。
外から見た資料館です。
重厚な造りとなっています。
建物前の空間を多く取ってあります。
資料館を後にしてからえびのにある日帰り温泉へ向かいました。
ナビが大隅半島の中央を走る道路を指定しましたので
その道を走ることにしました。
途中に霧島の温泉街を通ります。
道路脇から温泉の水蒸気が噴出しています。
えびのにある白湯温泉です。
ここには上湯と下湯の2か所温泉があります。
訪れた時、私は交互に行くようにしています。
今回は上湯へ行きました。ここの駐車場からの景色は抜群です。
入浴後、あたりは暗くなりつつあったので急いで妻の実家へ向かいました。
えびの高原はきれいな場所がたくさんあります。
夕方になると山道を走る車は少ないです。
妻の実家へ着いたのは夜7時過ぎになってしまいました。
ここまで高速を使わずにずっと下の道でした。
距離的に志布志港から150キロほど離れています。
翌朝に撮った妻の実家です。
この後は次回にお話しをさせて頂きます。